2005-02-03 第162回国会 衆議院 憲法調査会 第1号
○中山会長 私の立場を今枝野さんはお述べになりましたが、私は、天皇、皇后両陛下のフランス、スペインへの公式訪問の際に首席随員を命ぜられて、同行させていただきました。
○中山会長 私の立場を今枝野さんはお述べになりましたが、私は、天皇、皇后両陛下のフランス、スペインへの公式訪問の際に首席随員を命ぜられて、同行させていただきました。
政治色を皇室外交からできるだけ抜くというようなことは必要なことでございますし、私が思いますのは、両陛下の外国訪問には必ず元首相とか元副総理とか外務大臣経験者といったような大物の政治家が首席随員としてついてまいりますが、果たしてこれは必要なことなんでしょうか。そうした大物政治家の同行が、かえって天皇の外交に政治色を持たせるような感じがいたします。
英国首席随員のマウントバッテン元帥が私をとらえて、私というのは今の今上陛下、皇太子殿下の時代のことでございます。 いとも懇ろに、過ぐる戦争中、私が東アジア連合軍総司令官として印緬戦域で対戦した日本軍将兵は、その忠誠、勇敢、規律の厳正さにおいて、古今東西無類の精強でした。あのようなすばらしい将兵は、今後いずれの国にも生まれることはなかったでしょう。
しかし、その後療養に努められ、間もなく御回復、公務に復帰され、十月には天皇皇后両陛下の初の中国御訪問に首席随員として同行され、歴史的行事を成功裏のうちになし遂げられたのであります。 かくして渡辺美智雄先生は、本院議員に連続して当選すること十一回、在職三十二年一カ月の長きに及び、昭和六十三年には永年在職議員として院議をもって栄誉ある表彰を受けられました。
今回、首席随員を務められた中山太郎元外務大臣もスペインから勲章をいただいているそうでありますが、中山先生の方には事前に宮内庁の方から勲章携行を忘れないようにと連絡があったと聞いています。随員にはそうしたチュックをしておいて肝心の天皇陛下の勲章を忘れるとは一体どういうことなのか。宮内庁の担当者は事の重大性に対する認識が欠けているのではありませんか。
外務大臣、本来ならば天皇陛下の首席随員でしょうか、あるいは総理大臣が国連に行かれるのでしょうか、そのかわりと言っちゃ失礼ですが、行かれる。 それで、もう重要な時期ですね。どうなんですか、武器移転。中国に行ったら余りいい顔されなかった。イギリスは同調してくれた。この勝算の見通しはどうですか。
これも相手の国々というようなことでもいろいろ状況も違いますし、いろいろなことがございますが、やはり両殿下というようなことになりますと、例えば一番の首席随員というのを外務省関係その他からもらう、それから宮内庁関係では両殿下の場合で言えば東宮大夫か東宮侍従長かどちらか一人が行くというようなことでずっとやってまいりますと、おのずとそういうような数になってくる場合が少なくございません。
あと首席随員としてのウルステン外相ら外務省関係者に駐日大使夫妻を含めて公式随員は十人という少なさだ。非公式随員も、ご夫妻の身の回りを世話する王宮使用人が二人、ほかに護衛官など計六人に過ぎない。 日本の場合はどうだろう。両陛下のご訪米の際の公式随員は二十二人でそのうち宮内庁関係者十三人、非公式随員十五人のうち十二人。
そこで国会が終わりましたら、謝礼、今後の問題等も含めて、阿波丸の引き揚げが終わって遺体の収容が全部できたからできれば私に受け取りに来いという内々の話もありますから、できれば私が、行けなければ代理に援護局長を首席随員としてつけてやって、中国と北朝鮮の特別の関係から、中国の方からもこの日本人妻の問題で側面からお力添えを願うように相談するよう考えております。
そこで、こういうものの記録というものを大体どの程度にとどめるかは、事務当局の首席随員が決めることでありますが、多分鶴見審議官は、向こうが言ったのは軽く言ったことであるし、自分はその段階ではないと返答したから記録にとどめる必要はない、こういうことでとどめなかったものだと考えます。
マーシャル・グリーン国務次官補が鶴見審議官、これは日本側の首席随員ですね、雑談みたいにこっちは受けとめたということですが、向こうは記録にちゃんとある。この場で鶴見首席随員と一緒におった人はおるのでしょうね。いないのですか。これは確認されましたか。
そこで、当時の随員でそれぞれ健在している者一人一人にメモか記憶はないかという調査を、国会からお尋ねになる前に資料要求がありましたから調査いたしましたところ、首席随員の奈良君は病気で亡くなりましたけれども、あとの健在している者は全然記憶がない、こういうことでございます。
○園田国務大臣 本委員会で大出委員初め、元国務次官補グリーン発言に基づいて外務省の調査資料を出せ、こういうことでございましたが、それぞれ検討いたしました結果、当方には記録は全然ございませんし、当時の随員で一人、首席随員の奈良君が亡くなっておりますが、そのほかは記憶がないということで、やや食い違いますので米国の方に照会いたしましたところ、その結果が判明いたしましたので御報告をいたします。
なお、当時出席をしました外務省の随員、これは首席随員の鶴見君ががんで死亡しておりますが、他は全部健在でございますから、一人一人メモなり記憶があるかという調査をいたしましたが、ございません。しかし、おっしゃるとおり米国の元国務次官補がああいう発言をしておるところでありますから、その記録があるのか、どういう記録かという調査をいましておるところであります。
総理は、米国議会の指導的立場の方々との懇談の際に、私は、第一回の日米首脳会談に首席随員として訪米したが、そのときの目的は、わが国が米国から三億ドルの金を借りることであった、今日、わが日本は、大幅な黒字を抱えているが、これは歴史の皮肉であり、感にたえないとあいさつされたそうでありますが、この言葉を先方はどう聞いたであろうかと、私は、そのことに興味を覚えます。
帰国をされて十月三十一日に記者会見があったわけでありますが、今回のアメリカ訪問という行為、当然これは日米両国政府の合意に基づいて実現をしたものであるし、福田副総理が首席随員として同行されているわけでありますから、このアメリカ訪問という行為は当然国事行為に準じた最も公的行為の中でもウエートの高い行為であったと、こういうふうに理解をしていいわけですね。
(拍手) 首席随員の大任を果たされた福田副総理、まことに御苦労さまでした。(拍手) さて、去る九月十六日の本議場において、三木内閣総理大臣が所信を表明されたのでありますが、その中で総理は、今日の日本経済が、インフレと不況が併存し、物価安定策と景気浮揚策とが同時に求められておる未曾有の難局にありと断ぜられました。
四年前のヨーロッパのときには外務大臣が首席随員としてお供されました。今回は随員のこととか、ワシントン以外の日程についてはまだこれからの問題でございまして、何にもまだ予定もしておりません。しかし、宮内庁だけでなくて、やはりこれは政府として最終的な責任を持って話を進められたことになりますので、政府からもおいでを願うべきだと私は考えております。まだそれも内閣の方とは具体的にはお話ししておりません。
○福田国務大臣 永田さんのお許しを得まして、一言皆さんに御了解を得たいのですが、私は九月の初めに当外務委員会で皆さんにお目にかかりました直後、つまり九月六日から日米貿易経済合同委員会、さらに日加閣僚委員会に出席し、さらに帰国後一週間おきまして天皇、皇后両陛下の首席随員としてヨーロッパを回ってまいりまして、実に五十日ぶりに皆さんにお目にかかるというような次第でありますが、よんどころない事情でありましたので
その方を首席随員として、その下へ東宮大夫鈴木菊男がつき、なお外務省、それから東宮侍従などがその下へつきました。そして行かれたということであります。
そういうようなことで、大体十六、七名というようなことでございますが、他省との関係は、首席随員に、大体いままでの実際の例といたしましては、その訪問国に関係の深いようなわが国の大使をされた方、それから陛下の御名代として行かれまして、単に宮内庁ばかりでなく、政府の関係も若干ございますので、外務省の書記官級の方が一人、それからしかも随行員の中に経理——外国における経費の関係で外務省の会計関係の方をお願いするというようなことがございますが
○杉山善太郎君 今回アメリカ側から、四月なら四月を目途として、賃金共同調査に関する専門家会議を開こうと、そういう提案の中身であるか、それとも付随事項であるか——まあ中身であろうと思いますけれども、日米間における特定産業の労務費の問題を、日本とアメリカの両国のつまり専門家会議で検討したいというふうに聞いておるわけでありますが、大体この前、あなたも首席随員として労働大臣と一諾に行かれたわけでありますが、
○政府委員(大島靖君) 昨年十二月ワシントンにおきまして、大橋労働大臣とワーツ労働長官とが、個別会談でこの問題についての話し合いをいたしました際にも、私、労働省の首席随員として参っておったわけでありますが、同じく各省も、それぞれ大臣に首席随員がついて参っております。
それから第二点は、急いでこの準備を進めて行かなければならないと思いますが、その準備の進行状況、また首席随員には三谷侍従長が内定しておるということですが、そういう点もあわせてお聞きしたい。とともに第三点として、これは私ども国会議員としても、国民の代表でありますから、こういう晴れの祝典には、できれば参列して、祝意を表したいという気持を持つております。